プロフィール

氏名:井上 康 
(いのうえ やすし)

経歴
・昭和30年(1955年)9月生まれの羊年 66歳
・富里小学校と富里中学校を卒業
・千葉県立 佐倉高等学校卒業
・武蔵工業大学 電気工学科 卒業(現在の東京都市大学)
・本田技研の技術研究所に勤務し四輪車の開発・設計に従事
・アメリカに本部を置く企業(PADI)の日本支部にて教育指導部門の責任者として勤務
・平成23年、富里市議会選挙に当選、現在3期目

主な活動履歴

学生時代
・小学校時代:遊びはもっぱら野山を走り回る事。山鳩、尾なが鳥、カラス、リスなどを飼うのが趣味でした。
・富里中学校:軟式テニス部所属、当時は生徒全員部活参加が必須、丸刈り坊主が当たり前でした
・高校時代:将棋部に所属、佐倉高校は県下で強豪でした、が・・・私の場合は「ボチボチ」の強さでした。
・大学時代:電気工学科に学ぶ、部活は少林寺拳法部、4年間体育会で「先輩後輩の厳しい世界」で過ごす

卒業後
・本田宗一郎氏とオフロード・バイツーリングに憧れ、本田技研に入社
・24歳でスクーバダイビング(海に潜る)に出会い熱中、毎週末に伊豆七島へ、夏は沖縄へ・・海一色でした
・30歳でインストラクター資格取得、最上級のコースディレクターまで取得
 同時に心肺蘇生法を中心とする救急法指導インストラクター資格を取得

結婚後
・仕事の関係で市外に住んでいましたが、36歳の時に富里に戻り、東京まで通勤族の日々
・小学校生対象のサッカーチームに息子が入った事が縁で、サッカーコーチ&審判を6年子ども達と楽しむ
・地元環境保全団体NPOに所属し、環境保全活動など10年以上継続中
・「とみさとボッチャの会」を立ち上げ幼稚園・学校・高齢者施設・まちのイベントなどで体験・紹介実施中

・家族構成: 本人、妻(会社員)、長女、長男の4人家族 (長男、長女は各々家庭を持ち独立)
・大事にしている事:人の和、心配り

ふるさと富里への思い

富里は、私にとってかけがえの無い「ふるさと」であり、住み続けたいまちです。
祖父の代から住んでおり子供達にも今後住んで欲しいと願っています。

祖父(井上与太郎)が三菱財閥、岩崎家の経営していた末広農場で働いており、
その後戦後の財閥解体、農地解放の際に土地を譲り受け、
独立して農業を生業となし、現在、私で三代目になります。

私が小さかった頃は、富里はまだ印旛郡富里村で、
現在のナナエスクエアの場所にあった旧富里小学校に通いながら、
毎日野山をかけていました。
自然豊かで、夕食時には「ホタル」が舞い込んできました。
周辺は林ばかりでしたから、山できねずみ(リス)捕まえ、
または松の木からカラスの子を捕まえて飼ったり
田んぼで捕ったドジョウを餌にしてウナギを捕まえたり、
高崎川・根木名川でフナを釣ったり・泳いだり
・・・毎日が野生でした。

現在、私は農家では無いのですが、
先祖から伝わっている農地を週末耕し野菜を作っています。
また耕作放棄された荒れた田んぼの再生、里やま保全などを楽しんでいます。

私が育った頃(昭和30年頃)は住民も家も少なく、ご近所皆知り合いでしたので、
窓は開けっ放し、地域の助け合いが緊密でした。
困ったときは助け合い仲良く暮らしていた記憶があります。

昭和54年の成田空港の開港以来、住民も増え大きなまちになりましたが、
一方で、林が無くなり、田んぼが荒れ、
今までなかったような問題・課題も現れるようになりました。

今後少子高齢化の傾向が見えるこのまちに、
まさに今「助け合い」「住民の交流」が求められている時だと痛感しています。
現代社会では、うつ、引きこもり、自殺、孤独死、無縁死などの記事が
毎日のように報道されています。

富里を住みやすい高福祉のまちにするには
「助け合い」の輪を広げていく事が大切と再認識する日々です。

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